なっ、何だったんだ! あのブームは?
あの頃は思わず夢中になってしまいました。
趣味多き管理人があのブームを振り返ります。
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昭和58年(西暦1983年)頃から10年間くらいがブームの絶頂でしたでしょうか。携帯電話がまだ
世に出ていない時代でしたから、それはもう画期的なオモチャでした。それまでのCB無線はパワ
ー不足とチャンネル不足。ハム(アマチュア無線)は免許取得が必要で、しかも業務には使えな
い。これらの両欠点を補う形で登場しました。
パワーは5ワットでチャンネル数は158(旧制度では80)。郵政省への届け出だけで使えました。
しかも、業務上の利用も可です。当時はよく先端がオレンジ色のアンテナを立てた車を見かけたモ
ノでした。
しかし、冷静に考えてみれば、たった158のチャンネルで、エリア内を平等に割り当てられるわけ
がないです。当然、チャンネル数よりも、無線機の台数の方が上回れば、公共の電波を独占しよ
うとする輩たちが現れます。やがて、輩たちはグループ化、組織化されて、よくこんなやりとりが聞
こえてきました。
「(ガコーン)、このチャンネルは○○連合でお借りしていますよ」
「エッ、誰も交信していないじゃん!」
「(ガコーン)、交信していなくても、○○連合で使っているんじゃい!」
と、とにかくガラが悪かったです。マイク越しに話し出す直前に「ガコーン」とかいう効果音が発せら
れる装置も流行りました。
アマチュア無線と違って、コールサイン(7M1KPJなど)が割り当てられないので、各局は「通称」
つまりニックネームで自己を紹介していました。また、CB無線からのしきたりが引き継がれて、複
雑な俗語を知らないとマナー違反になりかねないご時世でした。
「お声がけ、○○管内からはココと申します。子供の”コ”が2つでココです。」
「ココさんですか、ゼロファイブ早速のお声がけありがとうございます。ご指導ご鞭撻の方を宜しく
お願い・・・」
「赤玉強制半固定から、コマーシャル現着となりました。トリプルセブンのスカイセンからもよろし
く。お稼ぎ下さい、テンテン」
「FBなファイナルありがとうございました。こちらからもテンテン、お稼ぎ下さい」
なんか、こんな感じだったかな。もうスッカリ忘れてしまいました。
ガラの悪さと、下品な俗語が嫌でアマチュアの世界に引っ越しました。そんな輩たちも多くて、今
度はハムの世界がパンク状態。キッカケは「私をスキーに連れてって」の冒頭部分。やはり、コー
ルサインで呼び合うのって恰好いいですよね。
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