なっ、何だったんだ! あのブームは?
あの頃は思わず夢中になってしまいました。
趣味多き管理人があのブームを振り返ります。

  
ピッチ(PHS) 2005/05/08
 記憶では、1996年の暮れの事です。ポケベルを解約して、初めてマイ携帯を持ちました。ポケベ ルとほぼ同額の月使用料(2700円/月、10円/分)で、本体価格は0円でした。商店街で片っ端 に配っていたものです。
 当時の携帯は「ドコモ」「ツーカーセルラー」「IDO」「デジタルホン」共に、まだまだ基本料金が高い 時代でした。
 一方のPHSのキャリアは3社でした。シェア順に「NTTパーソナル」「DDIポケット」そして「アステ ル」でした。当然、一番最後に参入した「アステル」が、只で機種をばらまいて、シェア争いに加わ った形です。
 契約にあたって、一番の気がかりは通話エリアです。当時の契約方法は、書類に希望する機種 を記入して提出し、ひたすら本体が郵送されて来るのを待ち続けるというものでした。
 パンフレットによると、我が家は通話エリアの色分けされたマップのちょうど境に相当していまし た。最寄りの基地アンテナは、直線で100m程離れたパチンコ店の前の電柱にありました。
 結局、我が家の屋内では、アンテナ1本も立たない表示状態。つまりは永久圏外と言うこと。「ア ステル東京」に文句を言うも、
 「エリア拡大中です、暫くお待ちを」
の回答のみ。これで、月2700円はバカらしいので、即解約しました。携帯でも、1.5GHzの周波数帯 を使う「シティ・フォン」に乗り換えた事は言うまでもありません。 


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